山縣亮太の彼女は?高校・大学や出身等プロフィールを紹介



山縣亮太選手は今度のリオオリンピックの男子陸上競技の日本代表選手です。

ケンブリッジ飛鳥選手や桐生選手とともにメダル獲得への大きな期待があるとともに、100m・9秒台で走ることへも期待があります。

これまでの自己新記録は。10秒01と桐生選手と変わらないその足の速さは山縣選手こそ9秒台へと行ける選手だと言われるほどです

そんな山縣選手は実は自己管理をトレーナーなどに頼まず、自分でやっているというすごい選手です。

それは中学校でのあることがきっかけでした。

そのおかげで今の山縣選手がいます。

いったい何があったのでしょうか。

山縣選手のプロフィールや彼女の存在、これまでの道のりとともにご紹介します。

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山縣亮太選手プロフィール



【名前】山縣亮太(やまがたりょうた)

【生年月日】1992年6月10日(24歳)

【出身】広島県

【身長】176㎝

【体重】68㎏

【血液型】A型

【趣味】料理

【出身中学】修道中学校

【出身高校】修道高校

【大学】慶應義塾大学

小さいころは2つ上の兄の後ろをついて回り、近所の山を駆け回る活発な少年だったようです。

小学校のころの夢は“プロの野球選手になること”で、陸上を始める前は野球をやっていました。

今でも広島カープのファンだとか!

 

そして通っていた修道中学校、そして修道高校は広島県広島市中区にある中高一貫校です。

その偏差値は70を超えるとも言われるほど高く、広島県ではTOP5に入る名門のようです。

中学・高校での陸上成績についてはこの後に触れていきたいとおもいます!

なにはともあれ、まさに文武両道なイケメンランナーなんですね!

 

 

日本代表になるまでの道のり



今は陸上界で期待されている山縣選手ですが、日本代表になるまでどのような道をたどってきたのでしょうか。

 

山縣選手には陸上をやっていた兄がおり、兄が陸上の大会で入賞して賞状をもらって帰ってきたときに自分もそれがほしいと思ったそうです。

そして、それがきっかけで小学校4年の時に本格的に陸上を始めました。

 

入ったクラブはなんとハードル走で有名な為末大選手が所属していたクラブ(JOC)でした。

そこから山縣選手の陸上選手への道が始まります。

 

すぐに才能を見せた山縣選手は小学校5年のとき、陸上を始めてわずか1年で、兄と同じ大会の100mで優勝。

全国大会では8位に入賞するというすさまじい成長をみせます。

この大会での活躍を見ていた地元の陸上クラブからも誘われるようになり、陸上競技に本格的に取り組み始めました。

 

しかし、中学校に入ってからが一番きつい時期だったようです。

山縣選手は100mの選手でしたが、当時は400m~800mの選手がこなすメニューをひたすらやらされていたとスポーツ記事で語っています。

 

しかし、

「全日中(全日本中学校陸上競技選手権大会)のリレーで出場権を獲得するという目標に向かって、チームメートたちと頑張れたから乗り越えられた」

とも語っており、当時の練習が今の自分のベースを作ったとも言っていました。

苦しかった中学時代があるからこそ今、山縣選手が強い陸上選手として戦うことができるのがよくわかります。

 

このつらかったという中学時代を乗り越え、高校は広島の修道高校へと進学しました。

この修道高校は陸上の名門校というわけでないですが、先ほどもご紹介した通り偏差値は70を超える進学校で、広島の私立高校ではトップの高校だそうです。

それだけ頭がいいと陸上がおろそかになりそうですが、そんなことはありませんでした。

高校1年で『国民体育大会少年B』で100m 優勝し、高校2年の時には世界ユース陸上競技選手権大会では100mで4位入賞し、メドレーリレーでは銅メダルを獲得しています。

陸上に勉強にと文武両道の山縣選手だったようです。

すごいですね。最近ではスポーツしかできない!なんて選手が減ってきているのはこのような選手の活躍があるからかもしれません。

 

そして、大学は慶応大学へと進学。

1年のときに国体男子100mにおいて10秒23の日本ジュニア記録(当時)を樹立して3位入賞しています。

当時のことはなぜ自分でも記録が出せたのかわからないと言っていました。

 

そしてなんと大学2年のときには、ロンドンオリンピック短距離日本代表に選出されています。

前回のオリンピックをすでに経験しているんですね。

恥ずかしながら知りませんでした。

このときのオリンピックでは個人入賞を逃したものの、リレーでは4位に入賞しています。

 

また実はこのときには100m・10秒07を出しており、9秒台まであと1歩のところまで来ています。

そして3年生の時に出場した織田記念・男子100mでは、桐生祥秀に0秒01差で2位になるも記録は10秒01。

9秒台への期待が膨らんでいます。

 

しかし、このころから山縣選手は腰痛や左股関節の怪我など度重なるケガに見舞われてしまいます。

ですが、その間も走ることはあきらめずに大会には出場していました。

2016年からはあらゆる大会で優勝や好成績を収め、ケンブリッジ飛鳥・桐生祥秀とともにリオデジャネイロオリンピック男子100m日本代表に選出されました。

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性格は?

山縣選手がどんな人なのかというと研究熱心かつ努力家な人です。

 

山縣選手は中学時代に陸上部の顧問の先生が転勤で急にいなくなり、上達するには自分一人で考えねばならない状況になりました。

そのため、本を読んだりして練習方法や技術を一人で考えたり、研究したりするようになったそうです。

 

大学時代のチームメイト曰く山縣選手の考え方は哲学的だったそうです。

しかし、その研究熱心な性格と早く走るように努力する性格が今の山縣選手を作りました。

速く走るための努力を怠らず、自ら研究して実行していく姿は実に素晴らしいと思いました。

誰もが見習いたい姿だと思います!!

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意外な趣味とは?

そんな山縣選手はちょっと意外な趣味を持っています。

家では自炊をしているという山縣選手。

 

実は料理が趣味のようです。

 

なぜ料理なのかというと、魚や野菜などの食材たちをスーパーで見てかわいいなと思い、それを一つの作品に仕上がることが好きだからだそうです。

料理を一つの作品として仕上げるという考え方は珍しいですね。

まるで芸術家のようです、趣味までなんだか天才的・・・。。

 

実際に作られた料理はとてもおいしそうで品ぞろえもすごいです。





 

とても男性が作ったとは思えないほどキレイに作られています。

 

料理をトレーナーに見てもらうことはよく聞きますが、それを自分で作ってしまうなんてすごいですね。

作ること自体も好きなようですが、気分転換にもなるようです。

 

また読書も趣味で羽生善治さんの「直観力」や森内俊之さんの「覆す力」には勝負師としての姿勢に惹かれ、大きな影響を受けたそうです。

 

 

彼女っているの?

陸上選手でかっこいい山縣選手はきっとモテているんでしょう。

慶応大学時代なんかは特にそうだったかもしれません。

今現在彼女がいるのか気になりますね。

 

Twitterではディズニーランドに彼女と山縣選手がいたという目撃情報もありますが、本当かどうかははっきりしてません。

しかし、山縣選手はTwitterで

『 山縣選手の経験上、恋などは陸上の技術や精神面などに影響しますか?』

という質問に対し

『技術の向上は経験がないですね。でもいいところ見せようと頑張ってみたり、精神的なモチベーションアップになります。』

と答えています。


 

現在彼女がいるかは未確定ですが、彼女がいたということがわかりますよね!

恋愛に対しては肯定的なようですから、このリオオリンピックもいいところを見せる相手がいる可能性は非常に高いかなと思います!

 

 

まとめ

山縣選手は陸上を教えてもらう人がいなくなったために自分一人で陸上という競技に向き合ってきました。

そのため、努力家であり、研究熱心な性格でもあります。

どうすればいいのかを日ごろから考えているため、頭もよく広島でも偏差値の高い高校へと進学し、文武両道を果たしています。

現在彼女はいないようですが、恋愛に対しては肯定的なようで、モチベーションが上がるとコメントしています。

これまで日本人として誰も踏み入ることができなかった100m9秒台への道。

今度のリオオリンピックではそれが出るのか楽しみです。

もちろん、個人でのメダル獲得も大いに期待しています。

頑張ってください!山縣選手!

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